ご来場ありがとうございました!(第61回西荻ブックマーク「インディーズ文芸誌のつくりかた」)

第61回西荻ブックマーク

撮影:武田憲人さん

4月15日の日曜日、日が落ちると外は肌寒くなった日でしたが、会場は大勢のお客様で賑わい、和やかな雰囲気でした。
前半は『Witchenkare』編集発行人の多田洋一さんのお話から始まり、『Witchenkare』執筆陣の一人である木村重樹さんとのやり取りも交えて、進行していきました。
最も印象的だったのは、多田さんが現在の『Witchenkare』となる雑誌をつくり始めようとしたきっかけの話です。
それは2008年夏のオリンピックで、ソフトボールの上野投手の姿を見て、自分がやりたいことを本気でやっている人はすごい!と感動したこと。背中を押される思いだったそうです。
後半からゲストとして出演した『生活考察』編集発行人の辻本力さんは、もともと茨城の「水戸芸術館」に勤務、演劇の制作をしていました。『WALK』という冊子の編集を担当して、編集の面白さに目覚め、芸術館での仕事を辞めて上京。『WALK』最終号で「日記」を特集し、日記に描かれた内実というか生活感が面白いと感じて、「生活」をテーマにした雑誌をつくり始めたということです。
インディーズ文芸誌はなかなか売れるものではなく、お金のやりくりが苦しいようです。それでも、今はフェイスブック、ツィッターなど告知の方法も増えているので、工夫しだいでもう少し流通できるかもしれません。
最後に「つくりたい人へのアドバイス」という質問が出ました。
実際につくり始めることと、関係者を少しずつ巻き込むこと、これを続ければ少しずつ形になっていくとのことでした。
(かさいし)
» 当日の来場者「gunung(グヌン)」さんによるレポートはこちら
http://gunung825.blog109.fc2.com/blog-entry-1606.html

第2回「西荻文学散歩」レポート

文学散歩_1

さる3月4日、有志による「第2回西荻文学散歩」を行いました。3月にしては寒い一日でしたが、今回は実際に西荻の町を歩いてみようという企画でもあり、10名ほどが集まりました。
準備したしおりで軽く行程を確認したあと、駅南口を出発。まず闇市の名残の飲食店街を通ります。善福寺で生涯を終える作曲家の遠藤実は、駆け出しの頃には西荻窪や荻窪の繁華街を「流し」(お客のリクエストに答えて演奏や伴奏をし)て歌手をめざしていたというエピソードを紹介しながら、作家の中井英夫が住んでいた青雲荘の跡に向かいます。
文学散歩_2

青雲荘跡遠景

青雲荘は駅から下りきった低地に建っており、このあたりは昔、大雨の後に水が溜まり、なかなか引かなかった場所だとか。
中井英夫が不遇の時代を過ごした面影はあまり残っていないのですが、近くには映画館や行きつけのバーなどもあったとのこと、作家はきっとそこで淋しさを慰めていたのだろうかと想像しました。

次に、高架下を抜けて北口エリアに出ます。神明通り沿い、かつて シナリオライターたちが「カンヅメ」となって脚本を書いていた旅館跡(木村館)の前を通り過ぎると、三角屋根の洋館が点在する場所に。建築家F・L・ライトの弟子、遠藤新が大正から昭和の初期に建てた住宅が、いまも何軒か残っているとのこと。このあたりで文学散歩は建築散歩の様相を示してきました。

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ご来場ありがとうございました!(第59回西荻ブックマーク「大谷能生「植草甚一の勉強・音楽編」」)

nbm59

第59回は音楽家・批評家の大谷能生さんによる「植草甚一の勉強・音楽編」。70年代生まれの大谷さんが、70年代最高のヒップスター・植草甚一とジャズについて、当時の音源を聴きながらガイドしてくださいました。会場には、植草さんの親族の方やカーネーションの直枝政広さんの姿も。ほかにも、70年代当時を知らない若い植草ファン、大谷ファンがつめかけたにぎやかな回となりました。

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ご来場ありがとうございました!(第58回西荻ブックマーク「絵葉書とスカイツリイ ~世紀を超える紙(片)~」)

第58回nbmコレクターを超えて
-趣味人になりたかった生田さん-

やはり聞いてみないとわからないものだ。
今の生田さんにとって、誰も持っていない珍しい絵葉書を所有したいとか、コレクションの量を誇りたいとか、コレクターが普通持つだろう欲望はすでに卒業していたのだ。
絵葉書を手に入れたら、その画像を取り込み、調べ分類する。そして世の中に知らしめる。
そうしたら「その絵葉書はもう手放してもかまわない」
もちろん、この悟りとも思える境地に至るまでに、生田さん自身も、生々しいコレクターの生態と無縁のはずはない。
10数年で8万枚ものコレクションを築き上げたのだ、悩ましく眠れない夜もあったに違いない。
また(これは実際には話してくださらなかったが)何処にでもある権謀術数の世界に巻き込まれたこともあったようだ。
だからそんな料簡の狭いマニアの世界から離脱したのかもしれない。
しかし数年前、初めてお会いした時から、生田さんの気さくで爽やかなお人柄は印象的だった。
まるで「そこに山があるから」とでも言いたげな潔さ。
コレクターによくある貪欲さは微塵もなかった。
それが今回のイベントで理解できた。
忘れられない話をひとつ。
京都の料亭が実家だった生田さん。ご家族、親戚、お客様の文人たち、多彩な趣味の大人に囲まれて育つ。
いつしか生田少年は、わたしも将来そんな趣味人になりたいと思ったそうだ。
栴檀は双葉より芳し。まさにコレクターから趣味人の域へ、生田さんは自在の境地を垣間見せてくれた。
(ブックマーク同人:古書 音羽館 広瀬洋一)

» 【生田さんの絵葉書のコレクションが次のサイトでご覧いただけます。】

生田誠コレクション・イメージアーカイブ
http://search.dnparchives.com/WEB/feature/tk_ikuta.html
(このサイトの「作品一覧」をクリックしてください。
600枚もの絵葉書を堪能していただけます。)

ご来場ありがとうございました!(第57回西荻ブックマーク 山内悠スライドショー「夜明け」)

第57回西荻ブックマーク

第57回ブックマークは、NBMでは初の写真家さんに来ていただきました。
富士山の山小屋から夜明けの写真を、足掛け4年、フィルムカメラで撮影された山内悠さんです。
開演前からお客様とおしゃべりしをしながら、なごやかな雰囲気ができあがっていました。
札幌からと、九州から、写真展をご覧になって今回東京へいらした方も。
遠いところ、足を運んでいただきありがとうございました!
まずは、スライドで写真をみながらスタート。写真集に入っていない写真も含めた数十枚のスライドを、みなさんしん、として見入っていらっしゃいました。
そして山内さんがお話を再開。
なぜ、この巡回展をやろうと思ったのか、全国をまわりながら出会った不思議な偶然(必然?)の話をまじえ、フランクな話し方の中にも熱い思いが伝わってきました。
写真のもつパワーに人が惹かれていく様を聞くのは大変おもしろく、感慨深かったです。
「この写真をみることで、宇宙を感じ、その宇宙の一部として人間が生きているんだ、ということを感じてほしい。
一人でも多くの人がそういう感覚、意識をもってくれたら、新しい時代が迎えられるんじゃないか」
そういう気持ちもこめて、写真集「夜明け」という名前にされた、という話も。
休憩をはさんで、富士山7合目の山小屋での生活をとったビデオをみながら、山で暮らすというのはどういうことなのか、というお話。
高度2000メートルを超す 生物が生きることができない場で生活する人の知恵と、工夫。
人間の係わりが深くなっていく事により生じる問題など、多岐にわたる話をしていただきました。
ユニークなビデオに会場はたびたび笑いに包まれました。
宇宙全体からみたら人間の営みはほんの表層でしかない、ということを写真をみる事で感じてほしい、と。
ここでもまた 自分たちの足元を見直すことができるといい、という山内さんのメッセージが伝わってきます。
あっという間に時間がすぎ、親しみのあるトークに始終にこやかでアットホームな回にしていただきました。
来年、また富士山でのスライドトークを考えているとの事。
ぜひ、自分たちしかいない雲の上の体験をみなさんもしてみて下さい!
詳細、お知らせは決まり次第、山内さんのHPにのるとのことです。
また、版元売り切れの写真集は、年明けに装丁も新たに発売されるとのこと。
こちらも要チェックです!
最後になりましたが、忙しい年の瀬にいらして下さったみなさま、ありがとうございました!

(スタッフ:大槻)


この秋、再始動した「西荻文学散歩」。

 第1回にメンバーが集まったのは今年の1月のこと。その後、3月に企画を予定していたのですが、地震の影響などで中止して以来、活動が止まっていました。

 再度動き出した第2回は、西荻北にお住まいのアメリカ文学研究者の荒このみさんをお招きして、駅付近のカフェに場所を設けて行われました。

 荒さんは文芸評論家・荒正人の次女として埼玉県に生まれ、津田塾大学助教授を経て東京外国語大学教授として2009年3月まで教鞭を取られていました(現在は同大学名誉教授・立命館大学客員教授)。

 さて、事前に「荒正人さんと西荻」という形で、西荻窪とその周辺の様子や荒さんが立ちあげて活動していた『近代文学』という雑誌の話などを軸にまとめた文章を参加者で共有し、運営側は雑誌や年表のコピーを用意して臨みました。

 荒正人さんの業績は膨大で多岐に渡っているので、年表を追っても全仕事をつかめる訳ではありません。

 今回は、『近代文学』での活動と、西荻窪での生活や家族から見た荒氏という点にある程度絞ってお話を聞きました。

 このみさんが著作集や写真が載っている本、それに実際に撮った家族や同人達との写真などを用意して下さり、これらの貴重な資料を見ながら、お話を約1時間半にわたって聞きました。

 『近代文学』は初期の頃は1万部を刷っていたそうで、紙や印刷所の手配も大変な中で、荒氏の情熱をもって戦後すぐの1946年から1964年まで続けられました。荒氏は編集能力があり、座談会(司会がお上手だったそうです)を行って、誌上に毎号掲載していました。戦後文学の思潮をリードしようとしていた文芸誌『新日本文学』に対して『近代文学』は、文学は政治や思想の手段でなく、それ自体が主体性を持った存在であるという立場をとり、激しい論争(「政治と文学論争」)をリードしました。それらが日本文学界に与えた影響は大きいものでした。

 西荻北(当時は井荻2丁目)に引っ越されたのは1946年で、このみさんが子どもの頃は隣の吉祥寺は田舎で、西荻窪の方が栄えていたそうです。当時、1軒しか本格的な洋食屋がなく、それがこけし屋なのですが、“カルヴァドスの会”がそこで開かれていました(田村泰次郎、小松清、細田源吉、石黒敬らがメンバー:1949年に立ちあげた)。クリスマス会も毎年行われていたそうです。

 お酒は飲めるけどやらなかったとか、温泉と海水浴が好きで、仕事の合間をぬって伊豆や伊東に家族旅行に出かけたなど、ご家族だからこそ聞けるエピソードによって、写真と文章でしか分からない荒正人氏が身近に、そして戦前の文壇を引きずらない個人主義に立った人物であったことがわかりました。

 参加者のお一人が見つけた雑誌『遊』の歌謡曲特集にあったインタビュー記事や、『アサヒグラフ』の荒さんとお嬢さん(これはこのみさんだと判明)の写真など、お持ちでない資料を喜んで頂いたので差し上げ、一方私たちは探せなかった雑誌の記事の他に、貴重な『近代文学』を1人1冊頂いたのでした!

 1913年1月生まれの荒氏ですが、届けられたのが年明けということで、実際には来年の12月で生誕100年になるそうです。荒氏の年表作成に関わっていたこのみさんは、大学で教鞭をとっていらっしゃるのでお話がお上手でした。来年もう一度お会いしてまた違った角度からお話をお聞きしたいと思いました。

スタッフ・加藤

「西荻文学散歩の会」

杉並在住の作家研究で知られる萩原茂先生(吉祥女子中学・高等学校)や、
「西荻ブックマーク」のスタッフたちを中心にスタートした企画。
西荻窪に住んだ作家や文化人の足跡を一緒に調べたり、取材したりしませんか?
(担当:奥園・加藤)


ご来場ありがとうございました!(第55回西荻ブックマーク「古本屋のなりかた教えます」)

第55回西荻ブックマーク

第55回西荻ブックマーク「古本屋のなりかた教えます」
よみた屋の澄田氏が2時間たっぷりとお話して下さいました。
会場は約60人がひしめく賑わいで、しかも都内だけではなく、千葉・埼玉・神奈川と、近隣の県からもご来場頂き、古本屋をやろうという人たちの意気込みが感じられました。
澄田氏は高原書店で働いた後、1992年独立。新刊書店をライバルに考えたというのが、他の人とは、一味違うな、と感じました。
西荻でまず、開業し、現在の吉祥寺へ。
中央線一といってもいい広さを誇るよみた屋。
聞き手は同じ高原書店出の広瀬氏で、普段、なかなか聞けないお店の話を小出しに聞けたのが興味深かったです。
古本屋にとって、新刊が売れなければ、古本にはならないということで、まずはざっと、新刊書店の流通の仕組みから説明していく。
委託・再販制度を軽く説明し、ISBNについても分りやすく説明。
次に古本屋にとって、何が一番重要かといきなり、核心をついたお話をされました。
それは仕入れだと。
他の古本屋さんも口をすっぱくして私に
「仕入れだよ、仕入れが大事!」
とことあるごとにおっしゃってました。
仕入れでは、どこにでも、コンビニにでもあるような、もより品(日用品)タイプではなく、買いまわり品(デパートの品のようなよそいきのもの)や、専門品(そこにしかないもの)を扱うことが必要、と語られました。
仕入れのパターンとしては、まず古書組合の市場(交換会)。
次に同業者。よその古本屋やブックオフなどでの仕入れがこれに該当する。
3つ目が一般客からの買取。出張買取は大量仕入れの可能性があるから、私も積極的に、これはやっていかねば、と肝に銘じる。
一坪1,000冊置くとして、10坪だと10000冊。その冊数で、ひと月3000冊を売るのは難しい、と、具体的に数字を用いて、説明してくれるのがありがたい。
ぼんやりとしたイメージが具体的なイメージへと変わっていく。
10坪くらいで古本屋をやろうと思っている人には、まさにぴったりの用例だし、そうでない人は、倍にしたり、半分にしたりすればいい。
売上の2割を利益だとする。そう、売上全てが、自分の収入になればいいが、家賃・人件費・光熱費・仕入れ代などの経費を全部引いて、残るのが利益。
一月にどのくらい、稼ぎたいのか。
300,000円だとすると、500円の本を3000冊売って、1,500,000円。
数字で説明されるとクラクラしてくる。
が、自分が飛び込んだ商売は、そういう世界なのだ。
買取の値段についても具体例で説明してくださいました。
1000円で値付けした本が10冊あるとする。
1年後に、7冊が1000円で売れ、残り3冊はセットで1000円で売れたとしたら、合計8000円の売上。
買取する時、売値を想定して、その金額からいくらか安い金額にするが、値下げしたときのことまで念頭においておかなければいけないのだ。
実際に、いくらで売れるのかということが大事。お客さんは選んで買う。選ばれない本、犠牲になる本もある。
よみた屋では、商品のバーコードをスキャンすると、アマゾンと日本の古本屋の価格が出るように設定しているらしい。
すごい! ほしい!と思ったが、レジさえ、ない古書ますく堂であった。
メタメッセージについても勉強になりました。
読んでない本を新刊書店で何故、選べるのかと。
自分の好きな得意な分野だと、読んでない本でも
「これ、面白そうや」
とアタリをつけて買う。
それを得意でないジャンルでもできるようにならなければいけない。
自分の相場観を持つことが大事。
これは将来、価値が、上ってゆくのか、下ってゆくのか。
著者を見ただけで、弟子や師匠は誰か、その本の歴史的な意味づけ、など。
一朝一夕でできることではない。
販売とはいらないものを、欲しがらせることと言われ、
「え? 欲しいものではないの?」
と思っていたら、更に説明が続く。
人は「何かほしい」と思っている。要はその欲求を刺激することが大事で、商品をいかに見せるかにかかっているのだ。
このあたりはもっとお聞きしたかった部分。
取引コストという聞きなれない言葉も以下の説明で、すとーんと納得できる。
スーパーよりペットボトルの値段が高い自販機。それは自販機だと24時間、すぐに買えるから高めなのだ。
3000円の本があるとする。昔はその本が他の店で、いくらするのか10時間くらいかかって、やっと分るような時代だった。これが取引コスト。
10時間もかかって調べるくらいなら、ここで買おうとなる。それが、今では、ネットですぐに他店の価格が分り、価格競争となる。
今から古本屋をやろうとしている人たちに、これまた為になる話をされた。
15坪の店として、1坪2万円として、家賃が300,000円。
新築の場所だと、内装などを、一からやらないといけないから高くつく。
前に店舗か事務所をやっていた所を借りると、安くつくと助言。
開業した頃の苦労話などは、とても参考になるから、いくらでも聞きたくなる。
会場からの質問では、新規開業資金はいくらかかったかといった質問や、電子書籍にたいしての質問が飛び交う。
やぶれかぶれの古書ますく堂も前に来いといわれ、本の値づけがわからないと質問する。知らない本だと値段がさっぱりわからず、ネットで検索すると、自信がないからすぐ、ぶれてしまうのだ。そういう意味でも自分の相場観を持つことが大事なのだな、と思いました。
このトークが始まる前に、澄田氏にセレクトショップではなく、澄田氏の提案する発展型書店でやるにはどうすればいいのか、と質問をしました。
自分がセレクトするのではなく、お客さんに勝手に探してもらう。一般から買取し、扱ったことがないものを取り入れ、棚を交通整理しておく。
セレクトショップは一点かぎりのものが殆どで、むしろ減らしてゆくことで、セレクトしてゆくマイナスの論理である。
そして、店主の人格を売るからこそ、他より、高い価値がつく。
澄田氏には古本屋入門書を出版してほしいな、と、改めて思いました。

増田(古書 ますく堂)


ご来場ありがとうございました!(第54回西荻ブックマーク「本と怠け者と働き者」)

第54回西荻ブックマークの出演者は、9月上旬に初の文庫本となる『本と怠け者』(ちくま文庫)を出されたばかりの荻原魚雷さんと、その巻末解説を書かれた岡崎武志さん。
魚雷さんとは十数年来の知り合いである岡崎さんの巧みな進行のもと、魚雷さんの知られざる素顔が次々と明かされていきました。
まずは、魚雷さんの新刊『本と怠け者』の紹介から。
『ちくま』に連載していた当初は、怠け者をテーマにしていたわけではなかったそうですが、連載を振り返ってみると“怠け者”や“アル中”など“社会不適応”の作家の割合が多かったとのこと。
「作家の育った環境・境遇がその作風に与える影響について興味があります。山田風太郎が『人生の色調』と言っているんですが、彼の作品にも両親を早くに亡くしたことで得た視点が表れているように思います」

という魚雷さんのお言葉が印象的でした。

岡崎さんのリクエストで、『本と怠け者』にも引用されている石原吉郎の『世界が滅びる日に』を朗読する一幕も。
話題は一転して、魚雷さんの仕事観やユニークなアルバイト歴の話に。
「接客業は無理。『いらっしゃいませ』『ありがとうございます』を愛想よく言える人を尊敬する」
「図書館のデータ入力作業は天職だと思った。やっているうちに無の境地になれる。しかも、ノルマを終えた後は本を読み放題」
など、次から次に飛び出す魚雷さん節に会場からもたびたび笑い声が起こります。
その後も、酒好きになったきっかけについて、上京した頃のエピソードについて、22年間住んでいる高円寺での引っ越しについてなど、お二人のトークは淀みなく続きました。
休憩を挟んで後半は、お二人が持参した古本をご紹介していただくとともに、西荻漥の古書店「音羽館」でお二人がセレクトした均一本や直筆の色紙が抽選で配られました。
魚雷さんが色紙に認めた一言があまりに魚雷さんらしいので、ここに引用させていただきます。

ここではない どこか遠くへ行きたいが
どこか遠くに行くのは面倒くさい
即売会で大いに盛り上がった後は、東日本大震災後の話に。
震災当日は京都に出かけていたという魚雷さん。
携帯電話が通じない状況下で、出版社に勤めている奥さんに連絡をとるためにブックオフに駆け付けたというエピソードに、「何でブックオフやねん」と岡崎さんからツッコミが入ります。
「ブックオフは自分でも名案だと思ったんですよ」
という答えが場内の笑いを誘い、2時間のトークは幕を閉じました。
※何故ブックオフだったのかはお考えください。
魚雷さんの飄々とした魅力と温かさのある人柄を存分に堪能できた2時間だったのではないでしょうか。

(スタッフ:塚田)


「Book!Book!Sendai 2011」レポート

Book!Book!Sendai2011

全国各地で行われているブックイベント。

“6月の仙台は本の月”と称して、宮城県仙台市では「Book!Book!Sendai」が開催されました(5月24日~7月4日)。

震災後に危ぶまれた開催でしたが、実行委員の皆さんの熱意と頑張りで、盛り沢山の企画が「東北ブックコンテナ」を皮切りに次々と催されました。

その「ブックコンテナ」(5月26日~6月13日実施)の開催場所は、西荻ブックマークが義捐金を送った「book cafe 火星の庭」。

今回は「火星の庭」と、後半最大のイベント、「Sendai Book Market」(一箱古本市など)を訪ねました。

一箱古本市への出店はしていません。仙台を、実行委員の皆さんを応援したいという気持ちで、お客として行きました。

日帰りの参加でしたが、それでも充分楽しめました。

東京から出店した方々、そしてそれを見に行った方々(私たちと同じ気持ちで行かれたと思います)と会場でお会いしました。

写真でその様子をお届けしたいと思います。

※サムネイル画像をクリックすると大きな画像が別窓で表示されます。

スタッフ・加藤