ご来場ありがとうございました!(第42回西荻ブックマーク「衣装としてのキモノ、文学としてのキモノ」)

第42回西荻ブックマーク

撮影:森栄喜

5月23日。こけし屋別館2Fにて、第42回西荻ブックマーク、島本理生×井嶋ナギトークショー「衣装としてのキモノ、文学としてのキモノ」~キモノと文学と作家と恋愛~ が開かれました。
天気はあいにくの雨でしたが、出演者のおふたりは、イベントタイトルどおりにそれぞれの個性があらわれるキモノ姿で、灰色の空模様などたちまち吹き飛ばしてしまうくらいの 華やかないでたちでした。

『色っぽいキモノ』の著者の井嶋さんは、黒地に細い縞の入った渋い着物に、蛇革の名古屋帯姿。抑え目な色味の中にも、本皮の上品な質感が感じられました。
対する島本さんは、ご本人も「井嶋さんと逆になるように」と説明をされたとおり、柔らかな色味の細縞の着物に、白地の塩瀬名古屋帯姿で木立の緑を連想させるような、鮮やかな緑の葉っぱと花が、帯の前とお太鼓(うしろ)に描かれていました。

17時。開演。会場では悪天候にもかかわらず、キモノで来られていた女性を多く見受けました。
正統派にピシッと着付けをしている島本さんと、グッと帯を下に締めて粋な着付けをしている井嶋さん。キモノ・トークの幕開けとして、まずはそれぞれのコーディネート紹介からはじまりました。

つづいて、井嶋さんから島本さんへの目配りのきいた振り。島本さんがキモノに興味を持ったきっかけ、キモノにまつわるエピソード、島本さんの作品に登場するキモノの話。
井嶋さんならではの歯切れのよい話しぶりに、島本さんの受け答えも笑顔とともになめらかになってゆきます。

そのあとは、「キモノと文学と作家」というテーマにふさわしく、幸田文、宇野千代、白州正子といったキモノと縁の深い女流作家たちが、画像をまじえながら紹介されてゆきます。

島本さんによる森田たま「もめん随筆」や白州正子「きもの美」の朗読のほか、島本さんご自身の文学作品『あられもない祈り』『ゆうなぎ』などにおける着物の描写についてのお話も披露されました。静かな時間が流れます。

後半では、キモノにまつわる井嶋さんおすすめの映画が、衣裳であるキモノに焦点をあてつつ紹介されました。
それぞれの着こなしや身のこなしによって表される登場人物の個性を、より深く知る機会になりました。
着こなしのルールを知ることで楽しめる、身分、年齢、性格、などの表現としての「キモノ」の世界。キモノ初心者の来場者も、解説とともに紹介された美しい映像を堪能されたのではないでしょうか。

宮尾登美子原作の映画『鬼龍院花子の生涯』では、「このときの岩下志麻のキャラがのちの極妻の原型に」「夏木マリのドレスのようなV字の襟元に注目」と極道に生きる女たちの着こなしについての、井嶋さんならではの水際だった解説が盛りだくさんで、会場のお客様からは、しばしば感心の声や笑い声があがりました。

また、島本さんのお母様で舞踏家の長岡ゆりさんが主演した映画『朱霊たち』という貴重な映像も流れました。

第42回西荻ブックマーク 第42回西荻ブックマーク

最後は質疑応答。
いきなり、質問ではなく、「せっかくだから、キモノのうしろ姿を見せてください」というお願いがあがりました。
はにかみながらも笑顔で快く応じてくれた島本さんと井嶋さん。
前帯の柄と同じ、鮮やかな緑の葉がうしろ姿に映える、島本さん。
対する井嶋さんは、キャメル色の蛇革帯をゆったりと締めたうしろ姿が、まるで先ほどの映画から抜け出てきたかのようにキマっていました。
洋装と異なり、うしろ姿もキモノの醍醐味のひとつであることを再認識したひと時です。

その他会場からは、おふたりの憧れとする着物姿の女性についての質問もあり、「限られたなかで自分で工夫して着物を着る、という幸田文さんの精神はとても素敵だと思っています」という島本さん、「岩下志麻さんの極妻のように、カッコイイけど行き過ぎちゃってちょっと可笑しいという境地を目指したい」という井嶋さんなど、それぞれの着物に対する姿勢がうかがえました。

そんなおふたりのキモノトークで、2時間はまたたくまに過ぎてしまいました。

イベント終了後は島本理生さんのサイン会です。
会場内で販売されていた河出書房新社からの新刊『あられもない祈り』をはじめとする島本さんの著書数点を対象に、ミニサイン会が開かれます。
島本さんは、対面するひとりひとりに丁寧に声をかけていました。

キモノの街でもある西荻にふさわしい一大イベントでした。
雨のなかを遠くからお越しのみなさん、まことにありがとうございました。
今後も西荻ブックマークをよろしくお願いします。

(スタッフ:添田、原田史子)


ご来場ありがとうございました!(第41回西荻ブックマーク「公開編集会議!『リテラエ・ウニヴェルサレス』は謎だらけ?」)

第41回西荻ブックマーク

撮影:川本要

第41回西荻ブックマークでは、インターネットのサイトである『リテラエ・ウニヴェルサレス』、その運営を行う「ユニット・アンパサンド」の4人(武村知子さん、山本貴光さん、白井敬尚さん、郡淳一郎さん)をゲストにお迎えしました。

「本をめぐるマンスリー・イベント」である「西荻ブックマーク」で、なぜ、インターネットのサイトを取り上げたのか?
わたしたちにとって、もはや日常となっている、インターネットをブラウザで見る/読む、あるいは書くという行為。その媒体であるサイトの機能そのものを、本をめぐる現代的な課題から問い直している、きわめて尖鋭的で実験的なサイトとして『リテラエ・ウニヴェルサレス』があり、しかも、その運営メンバーはいずれも、本の世界ではその名を知られる、恐るべき手練れの4人!
「アクセス即強制フル・スクリーン化! 1パネル=10万ピクセル四方! 行頭・行末禁則すべてoff! 元ネタはBARBEE BOYSって……いったい、この人たちは何がやりたいのか?」(告知文より)
現状のサイトから読み取れる情報だけではどうにも辿り着けそうにない、彼等、「ユニット・アンパサンド」の壮大かつ複雑な企てと試みを、直接、解説していただく場を、ぜひとも設けたい!というのが、今回の企図でした。

当日のトークは2部構成。質疑応答を最後に行わない代わりに、客席からのコメントを常時受け付ける、というライブ感溢れる設定で行われました。
前半では、『リテラエ・ウニヴェルサレス』のなりたちやサイト名・ユニット名の由来について、武村さんがお話をされた後、スクリーンに現在の『リテラエ・ウニヴェルサレス』を投影しながら、そのデザインの技術的な問題点が話されました。書体の選択や組版、本作りの現場では常識とされてきたことが、インターネットのサイトにおいては、どう扱われるのか? プログラマとして設計・管理を担当する山本さんが直面した困難、デザイナーとしてアート・ディレクションを担当する白井さんが感じた危機。客席からも早くも活発な質疑が飛び出しました。
後半では、先に客席からのコメントを積極的に募り、それへの回答として、山本さんより、『リテラエ・ウニヴェルサレス』上で導入が予告はされながらも、いまだに実装のされていない「拡大縮小機能」のデモを交え、「新たなる百学連環」図の構想に関するプレゼンテーションが行われました。
開演17時、終演20時。あっという間の3時間。客席のほぼ半数が参加された打ち上げの場でも、まだ話し足りない、いつまでも話は尽きない、そんな雰囲気が最後まで続いていました。
出演者と客席のそれぞれが、対話を通じて、学術研究・デザイン・編集・本とインターネットの今後などなど、各自の課題とそれに役立つ何らかのヒントを持ち帰ってくださった、そんな貴重な一夜になったような気がしますが、いかがでしたでしょうか……?
『リテラエ・ウニヴェルサレス』の今後の展開はもちろん、「ユニット・アンパサンド」の4人それぞれの活動も要チェックです!

最後になりましたが、武村さん・山本さん・白井さん・郡さんのゲストのみなさま、ご来場くださったみなさま、nbmスタッフのみなさま、本当にどうもありがとうございました。

今後の西荻ブックマークもどうぞよろしくお願いいたします。

企画・司会:木村カナ


ご来場ありがとうございました!(第40回西荻ブックマーク「英国で本と暮らす」)

漱石の渡英後110周年となる今年。第40回の出演者は、渡英後30周年を迎えた恒松郁生さん。ロンドン漱石記念館館長、大学教授、執筆家、翻訳家として国内外で広く深く活躍されています。

土曜マチネーの今回は、初夏を先取りしたような陽気を強風が吹き抜ける一日でしたが、開場時間前に早くもお客様の姿が。恒松さんのトークがやっと東京で聞ける、その期待の高さは、開場後ほどなくして満員になった様子からも伝わってきました。

15時開演、年齢層はやや高め、西荻ブックマークらしからぬ(?)雰囲気の中、恒松さん登場。パソコンの画像をプロジェクターで映しながら説明する形で、前半は漱石関連をトピックに幕が開きました。

専門的になりがちなテーマにあって、随所にちりばめられたユニークなトリビアは、良いアクセントでした。漱石とステッキの奇妙な関係、「漱石全集」内のとんでもない誤表記、宮崎駿氏の残念なサイン色紙、「英国での楽な職業ランキング」などの話に、思わず吹き出す方も。とりわけ、『吾輩は猫である』のモデルとなった猫の絵と英国人画家、『草枕』を”The Three-Conered World(三角形の世界)”と訳したアラン・ターニーなどなど……なじみの薄い人物が出た際は、余談でも好奇心をそそる材料となり、時には満場の笑いを誘うスイッチにもなりました。

膨大な資料収集は、恒松さんの独力によるという事実には驚くばかり。研究は「徹底的にやる」の言葉通り、研究対象と関連する人物については生涯を調べ、お墓を確認したところでリサーチは終わるのだそうです。かつての英国社会保障制度のスローガン「揺りかごから墓場まで(”from the cradle to the grave”)」を字義通り実践し成果をおさめるバイタリティに、あきらめに近いうらやましさを覚える前半でした。

休憩時間も、お客様の質問に応じていた恒松さん。そのまま後半へ。テーマこそ英国古書店事情でしたが、サマセット・モームの著作「人間の絆(”Of Human Bondage”)」がサブタイトルとしてぴったりな内容でした。恒松流の古書購入方法をトピックに再開。

どうしても必要な本がある。古書店やネットでは見つからない。クリスティーズやサザビーズでも出品されない。ではどうするか? 「呼ばれたお茶は絶対に断るな」の精神で、稀覯本があるとされる地域へ行き、人と会い、お茶の席にお邪魔する。つまりは草の根活動。誰にでもできそうなこの方法も、実は多岐に渡る情報の取捨選択に基づいているのです。曰く、「一つのものばかり見ていては駄目」。日本人の緻密さ、イギリス経験論者のような思慮深さ、そしてアメリカ人並みのプラグマティックな行動力でもって北へ南へ。

結果、人は人を呼ぶ。ホテルでひっそり開催されるブックフェアの常連古書店主、オックスブリッジの教授以上の知識を持つ「古書ディーラー」、全国を奔走するバイヤー(”runner”)――ここから枝分かれ式に拡がるのは言わずもがなのことです。売値のラテン語暗号表記の秘密や古書を安く買うコツを明かして下さってから、最後はやはり人とのつながりを描いた、あの作品の話題。

古書店主と一人の客との交流を描き、映画化もされた『チャリング・クロス街84番地』。その続編とも言える”The Duchess of Bloomsbury Street(ブルームズ・ベリー街の貴婦人)”の翻訳に際して行った、リサーチの顛末にも触れてくれました(もちろん著者ヘレン・ハンフのお墓も)。翻訳は順調に進んでいるとのこと。その本を通してどんなつながりが芽生えるのか、今から楽しみでなりません。

盛りだくさんな内容とメリハリの利いたトークに時間を忘れた頃、拍手とともに幕となりました。展示品の一冊”The Philobiblon of Richard de Bury ”にも劣らぬ本への愛情を感じ取ることができた上に、「墓マイラー」としての意外な一面も発見できた第40回でした。

年内に新刊書が出る予定です。恒松さんの「本と暮らす」活動内容にブックマークを。

スタッフ:丹野


ご来場ありがとうございました!(第39回西荻ブックマーク「私は古本ストーカー」)

第39回はご存知「なないろ文庫ふしぎ堂」店主であり、
『彷書月刊』編集長でもある田村七痴庵さんと映画『私は猫ストーカー』
原作で有名なイラストレーターの浅生ハルミンさんの異色対談でした。
このコンビじつはかつて店主とアルバイトという関係でありまして、
このたび師弟対談が実現する運びとなりました。

当日の会場、スタジオ・マーレは超満員。顔なじみの古書店主、ライター、
編集者の顔もちらほらお見かけいたします。お二人の気楽な話しぶりから
時折繰りだされる意味深な発言に会場は大いに沸きました。

また会場ではハルミンさんの書籍のほか、
ちょうどタイムリーに刊行された2冊の雑誌も販売されました。

  • 『彷書月刊』2月号の田村さんの特集号
  • 『雲遊天下』101号(復刊号) 特集・雑誌のゆくえ (田村さんインタビュー収録)

これは現在も発売中ですのでぜひお手に取ってご覧ください。

それでは岡崎武志さんのブログに当日のレポートがあります。
お借りしましたので、会場の雰囲気を味わってください。

スタッフ:広瀬

ハルミンさんは「なないろ」バイトの「志願兵だった」。つまり、お金より、古本屋そのものに興味があり、自分から手を挙げて「なないろ」に店番をした。「バイト料は安かったけど」(田村)「そんなことはないです」(ハルミン)。田村さんは人手に困ると、「美学校」へ、ブラブラしている若者を探しに行ったようだ。そこでハルミンさんが拾われる。ハルミンさんは3年ほど、週に一日、「なないろ」のバイトをするが、「私は本当に丸腰だった」(古本のことは何も知らない、の意)。この「志願兵」だの「丸腰」という表現がおもしろい。古本屋に対する熱、意気込みを感じる。

当時の田村さん。まだ三十代だが、ハルミンさんの目に映ったのは、腰まで長い髪を伸ばし、田村さん以外は誰も着ないような服に身を包んでいた。それがかっこ良かった。店番をしていると、田村さんは「それじゃあ、頼むわ」と言って外出していくのだが、外で何をしているのかがまったくわからなかったという。

田村さんが謎なら、客も謎だらけで、いつもエロ本をずっと見て帰っていくおじいさんがいた。松本清張みたいな唇のじいさんで、長時間女性の裸を見ていると、次第に耳が赤く染まっていくのをハルミンさんは見逃さなかった。バイトの先輩・タカクラくんによると「あのじいさんは、○○に住んでいて、エロ本のコレクターだよ」。「なんで、タカクラがそんなこと知ってんだ!」と田村さん。

相撲取りになれと言われる程身体の大きな小学生がいた(「私は古本ストーカー」のチラシで、電話の下でしゃがんでいるコドモ)。小三のタケオは店内に貼った上半身裸の舞踏のポスターに映ったオトコの脇毛を指差し「これ、何て言うの?」と、ハルミンさんにしつこく「脇毛」と言わせたがった。

田村さん曰く、歴代のバイトで便所掃除をすすんでしたのはたった二人(田村さんはせよ、と言わない)。するとハルミンさんが「そのうちの一人は、当時つきあっていた私の彼氏です」と言った。ハルミンさんが急きょバイトを休む用ができて、彼氏が代わって「なないろ」へ。この彼氏がまことに几帳面、綺麗好きな男で、便所を見るにみかねて掃除した。

「なないろ」に古本を持ちこむ常連にKとTがいたが、Kはプロで、いい本を拾って、ちゃんと仕分けして、いちばん高く買う古本屋へ持ち込む。SM雑誌でもある程度の量が必要で、それを駅前のコインロッカーを倉庫替わりにして溜め込んでいた。ハルミンさんはこのKさんから寒い日に暖かい缶コーヒーをもらったことがある。ハルミンさんがKさんに、どこで本を拾ってくるのか、と聞いたことがある。Kさん曰く「あのね、内幸町と日比谷あたりがいいよ」。行動範囲の広さがすごい。田村さんは毎年、このKさんから年賀状をもらっていた。しかし、宿無しなので、住所はなく名前だけ。

田村さんは「三宿の江口書店こそ古本屋のなかの古本屋だ」と言っていた。ハルミンさんも江口書店が好きで、看板の「雑本」という文字に引かれていた。まさしく江口は雑本の店だった。とびきりいいことば、かっこいいことばとして「雑本」を意識していたが、友人に江口書店のことを説明するとき、「雑本の店で」と言うと、友だちが「ええっ、雑本なんて言うの、ひどいよ」と反応があり,逆に驚いたのだ。田村さんは言う。「雑草という草はないが、雑本という本はたしかにあるんだ」

江口さんは最後、失禁しながらも店番を続けていた。おしっこもらしながらも古本屋の店番をする江口さんに田村さんは感動する。つまり最後まで「古本屋」だった。

ハルミンさんに原稿を依頼したのが田村さんで、ハルミンさんはまだ何ものでもない私に依頼するなんて、その勇気におどろいたという。ただ、現在「にわとり文庫」に嫁入りした西村博子さんと二人で、「特急電車で家出」というミニコミを作っていて、それを田村さんに見せていたらしい。

「彷書月刊」つげ義春特集号(1991年)に書いた「古書談義 古本屋さん」だが、ここにナゴヤの古本屋で教わった、下郷羊雄がサボテンばかりを撮ったシュールリアリズム写真集『メセム属』について書いた。まだ二十代の女の子が、『メセム属』について書くなんて、とここで田村さんが驚く。

田村さんは「なないろ」の二階の四畳半を倉庫兼住居にしていたが、ガス台以外、電化製品はなにもなかった。ハルミンさんは、じつは田村さんがルスのとき、こっそりこの二階を覗いている。「部屋中、本が積み上げてあって、あんなに高く本が積めるものだと感心した。部屋のまんなかにぺったんこになった蒲団が敷いてあって、小さな窓から光がさしこんでいた。小さな机の上には、かきかけの目録用原稿が置いてあった」と描写する。

このほか、まだまだ面白い話が続くのだが、最後に田村さんが吐いた名言。田村さんの住むマンションのゴミ捨て場に、ある日、リボンのかかった遺影や「忌中」という紙や葬式写真など、葬式に使う一切のものが捨ててあった。マンションの管理人は「こんなものを捨てて」と怒ったが、古本屋の田村さんとしては、一瞬「俺がもらおうかな」と思ったという。そのあとにこう言った。

「古本屋ってのは奈落と直結した商売なんだ」

――私は古本ストーカー – okatakeの日記


ご来場ありがとうございました!(第38回西荻ブックマーク「旅と演歌とデザインと」)

都築響一トークイベント

撮影:荒木一真

第三十八回の出演者は、編集者でライター、そして写真家でもある都築響一さん。現代美術・デザインをはじめ、秘宝館から洋服、現代詩、またスナックや演歌歌手等々、独自の視点から現代日本の姿を追いかける仕事を続けておられます。

開演前に、約百席の会場がほぼ満員になる盛況ぶり。中央線沿線でのイベントが少ない都築さんの登場に、会場の期待も高まります。

十七時開演。
まずはプロジェクターを使いつつ、今月出たばかりの新刊『Showa Style』の紹介から。
戦後、復興しつつあった東京や大阪で、次々に生まれていた商業建築を紹介した「建築写真文庫」(一九五三~一九七〇、彰国社)。キャバレー、ガソリンスタンド、喫茶店などの姿を集めたこのシリーズ、実は建築家・北尾春道氏がたったひとりで撮影・編集して作っていたのだとか。それを知ったとき、ここに自分の先輩がいた!と都築さんは感じたそうです。
有名建築家の建築物は、それが「作品」であるがゆえに時代を超えている。むしろ、それぞれの時代の匂いやリアリティは、無名の建築物のほうにこそ表現されているはず――そんな視点から、全百四十五巻の「建築写真文庫」を再編集したのが同書。
「日本のミッドセンチュリーモダン」とも言うべき商業建築の数々に、お客様も熱心に見入っていました。

次に一転して、話題は現代へ。
古道具屋の片隅で埃をかぶっていた素人絵画ばかりを集めた画集『Thrift Store Paintings』の驚異。二十年以上も小型バンで全国をまわり続ける歌手・秋山涼子さんの演歌人生。レーザーカラオケ機材販促のために大量に作られた、ソフトポルノ風カラオケ映像への注目。
一見脈絡のない展開のようですが、一貫しているのは、無名の人々や世間から貶められた表現が持つリアリティへのまなざしです。都築さんの姿勢にまったくブレがないことが、お話からよく伝わります。

世間からバカにされている表現の一つに、AV(アダルトビデオ)の世界がある、と都築さんは言います。次に紹介されたのは、そのなかでも、奇妙で独創的なAVを生みだすメーカーとして知られるSOD(ソフト・オン・デマンド)の作品群。大会場に集められた五百人の男女が同時にセックスする『500人SEX』、全裸オーケストラ、全裸避難訓練などの「全裸」シリーズ等々……。「実用的」なAVから限りなく遠く、ほとんどアートに近づいてしまったこれらの作品を、都築さんはクールベ『世界の起源』や現代美術作品を引きあいに出しつつ語ります。曰く「世間から公認された芸術だけでなく、どちらの表現も同じように楽しめる自由さを持てれば、人生はもっと楽しくなる」。常に無名の表現の側に加担してきた都築さんらしい言葉です。
ちなみに、SODの創立者・高橋がなり氏は、TVプロデューサー・テリー伊藤氏の弟子。なるほど、紹介されたAVの数々には、かつての「天才・たけしの元気が出るテレビ」に通じる実験精神とアナーキーな笑いが溢れていました。会場からもたびたび笑い声が起こります。

そして最後に紹介されたのが、「これまで五百回以上見たけど、そのたびに感動する」と都築さんが言う、「ドリャーおじさん」の映像です。ドリャーおじさんとは、東尋坊の崖から二万回以上も飛び込み続けた中年男性のこと。偶然、TVでその姿が紹介されたのを見て衝撃を受けたという都築さん。ドリャーおじさんの無償な飛び込みへの情熱から、「危なくてだれもやらない」「やってもバカにされる」行為に人生を賭ける潔さを教えられたそうです。笑いとともに不思議な感動を呼ぶドリャーおじさんの姿に、会場からはひと際大きな反応が起きていました。

いつもと違い休憩時間もなく続いた本イベントは、ここで終了。大きな拍手で幕を閉じました。盛りだくさんの内容と、長い時間を感じさせない都築さんの巧みな語り口に、スタッフも大いに魅了された二時間でした。
「隙間狙いで変なモノを追いかけるサブカルの人」。ときにそう誤解される都築さんの仕事が、実は時代と人間への熱い関心に支えられていることもまた、しっかりと伝わったのではないでしょうか。
来年以降も新刊を数々準備中という都築さんに、これからも目が離せません!

スタッフ:宮里