青雲荘は駅から下りきった低地に建っており、このあたりは昔、大雨の後に水が溜まり、なかなか引かなかった場所だとか。
中井英夫が不遇の時代を過ごした面影はあまり残っていないのですが、近くには映画館や行きつけのバーなどもあったとのこと、作家はきっとそこで淋しさを慰めていたのだろうかと想像しました。
ご来場ありがとうございました!(第59回西荻ブックマーク「大谷能生「植草甚一の勉強・音楽編」」)
ご来場ありがとうございました!(第58回西荻ブックマーク「絵葉書とスカイツリイ ~世紀を超える紙(片)~」)
コレクターを超えて
-趣味人になりたかった生田さん-
今の生田さんにとって、誰も持っていない珍しい絵葉書を所有したいとか、コレクションの量を誇りたいとか、コレクターが普通持つだろう欲望はすでに卒業していたのだ。
そうしたら「その絵葉書はもう手放してもかまわない」
10数年で8万枚ものコレクションを築き上げたのだ、悩ましく眠れない夜もあったに違いない。
また(これは実際には話してくださらなかったが)何処にでもある権謀術数の世界に巻き込まれたこともあったようだ。
だからそんな料簡の狭いマニアの世界から離脱したのかもしれない。
まるで「そこに山があるから」とでも言いたげな潔さ。
コレクターによくある貪欲さは微塵もなかった。
それが今回のイベントで理解できた。
京都の料亭が実家だった生田さん。ご家族、親戚、お客様の文人たち、多彩な趣味の大人に囲まれて育つ。
いつしか生田少年は、わたしも将来そんな趣味人になりたいと思ったそうだ。
» 【生田さんの絵葉書のコレクションが次のサイトでご覧いただけます。】
http://search.dnparchives.com/WEB/feature/tk_ikuta.html
(このサイトの「作品一覧」をクリックしてください。
600枚もの絵葉書を堪能していただけます。)
第58回西荻ブックマーク 『絵葉書とスカイツリイ』~世紀を超える紙(片)~
ご来場ありがとうございました!(第57回西荻ブックマーク 山内悠スライドショー「夜明け」)
富士山の山小屋から夜明けの写真を、足掛け4年、フィルムカメラで撮影された山内悠さんです。
札幌からと、九州から、写真展をご覧になって今回東京へいらした方も。
遠いところ、足を運んでいただきありがとうございました!
なぜ、この巡回展をやろうと思ったのか、全国をまわりながら出会った不思議な偶然(必然?)の話をまじえ、フランクな話し方の中にも熱い思いが伝わってきました。
「この写真をみることで、宇宙を感じ、その宇宙の一部として人間が生きているんだ、ということを感じてほしい。
一人でも多くの人がそういう感覚、意識をもってくれたら、新しい時代が迎えられるんじゃないか」
そういう気持ちもこめて、写真集「夜明け」という名前にされた、という話も。
高度2000メートルを超す 生物が生きることができない場で生活する人の知恵と、工夫。
人間の係わりが深くなっていく事により生じる問題など、多岐にわたる話をしていただきました。
ユニークなビデオに会場はたびたび笑いに包まれました。
ここでもまた 自分たちの足元を見直すことができるといい、という山内さんのメッセージが伝わってきます。
あっという間に時間がすぎ、親しみのあるトークに始終にこやかでアットホームな回にしていただきました。
こちらも要チェックです!
(スタッフ:大槻)
この秋、再始動した「西荻文学散歩」。
再度動き出した第2回は、西荻北にお住まいのアメリカ文学研究者の荒このみさんをお招きして、駅付近のカフェに場所を設けて行われました。
荒さんは文芸評論家・荒正人の次女として埼玉県に生まれ、津田塾大学助教授を経て東京外国語大学教授として2009年3月まで教鞭を取られていました(現在は同大学名誉教授・立命館大学客員教授)。
荒正人さんの業績は膨大で多岐に渡っているので、年表を追っても全仕事をつかめる訳ではありません。
今回は、『近代文学』での活動と、西荻窪での生活や家族から見た荒氏という点にある程度絞ってお話を聞きました。
このみさんが著作集や写真が載っている本、それに実際に撮った家族や同人達との写真などを用意して下さり、これらの貴重な資料を見ながら、お話を約1時間半にわたって聞きました。
『近代文学』は初期の頃は1万部を刷っていたそうで、紙や印刷所の手配も大変な中で、荒氏の情熱をもって戦後すぐの1946年から1964年まで続けられました。荒氏は編集能力があり、座談会(司会がお上手だったそうです)を行って、誌上に毎号掲載していました。戦後文学の思潮をリードしようとしていた文芸誌『新日本文学』に対して『近代文学』は、文学は政治や思想の手段でなく、それ自体が主体性を持った存在であるという立場をとり、激しい論争(「政治と文学論争」)をリードしました。それらが日本文学界に与えた影響は大きいものでした。
西荻北(当時は井荻2丁目)に引っ越されたのは1946年で、このみさんが子どもの頃は隣の吉祥寺は田舎で、西荻窪の方が栄えていたそうです。当時、1軒しか本格的な洋食屋がなく、それがこけし屋なのですが、“カルヴァドスの会”がそこで開かれていました(田村泰次郎、小松清、細田源吉、石黒敬らがメンバー:1949年に立ちあげた)。クリスマス会も毎年行われていたそうです。
お酒は飲めるけどやらなかったとか、温泉と海水浴が好きで、仕事の合間をぬって伊豆や伊東に家族旅行に出かけたなど、ご家族だからこそ聞けるエピソードによって、写真と文章でしか分からない荒正人氏が身近に、そして戦前の文壇を引きずらない個人主義に立った人物であったことがわかりました。
1913年1月生まれの荒氏ですが、届けられたのが年明けということで、実際には来年の12月で生誕100年になるそうです。荒氏の年表作成に関わっていたこのみさんは、大学で教鞭をとっていらっしゃるのでお話がお上手でした。来年もう一度お会いしてまた違った角度からお話をお聞きしたいと思いました。
スタッフ・加藤
「西荻文学散歩の会」
杉並在住の作家研究で知られる萩原茂先生(吉祥女子中学・高等学校)や、
「西荻ブックマーク」のスタッフたちを中心にスタートした企画。
西荻窪に住んだ作家や文化人の足跡を一緒に調べたり、取材したりしませんか?
(担当:奥園・加藤)