石田千さん×浅生ハルミンさんトークショー

「夏の対談」

公私とも仲のいいふたりが語る本のはなし、町のはなし。ともに参加し、一年前に惜しまれながら幕を閉じた「彷書月刊」、田村編集長のはなし。夏の午後、ゆるゆると極上の時間をお楽しみください。
※対談中の写真撮影、録音、対談の許可なき採録はお断り申し上げます。

開催日時 8月6日(土)15:00~17:00(開場14:45)
開催場所 東京堂書店神田神保町店6階
参加方法 参加費500円(要予約)
電話または、メール(tokyodosyoten@nifty.com)にて、件名「石田さん浅生さんイベント希望」・お名前・電話番号・参加人数、をお知らせ下さい。イベント当日と前日は、お電話にてお問合せください。電話 03-3291-5181

» 詳細はこちらから

http://tokyodoshoten.co.jp/blog/?p=1042


ご来場ありがとうございました!(第45回西荻ブックマーク「古本・トロイカ・セッション」)

第45回西荻ブックマーク

今野スタジオマーレにて開催された「古本・トロイカ・セッション」。

ゲストは3人で、『彷書月刊』の編集長・田村治芳氏、石神井書林の内堀弘氏、ライターで均一小僧で、古本といえばこの人・岡崎武志氏。田村氏は前日まで無理だろうと予想されていたが、なんとか来ていただいて、本当にありがたい、豪華な顔ぶれとなった。

会場は40人が集まるほどの大盛況。3人のお話は滑らかに、田村氏のお話はゆっくりと、進んでいった。

トークの前に、西荻ブックマークのスタッフが、『彷書月刊』編集部を訪れる一場面がスクリーンに映し出された。
神保町の『彷書月刊』編集部は階段を上がると、そこには返本の山が……、そして中に入っても本の山、山、あるいは資料の山ばかり。所狭しと言わんばかりにうず高く本が積まれていた。
この神保町の編集部は3つめの場所で、そこから、青林堂のビルも更地になったと話題が移り、「更地になったとこを写真にとって、南伸坊に送った」と田村氏が言っていた。
すると岡崎氏が「僕は古本屋の外観の写真をとりだめしている」とコメントし、将来、高値になるぞ、と予言していたのが面白かった。岡崎氏の言うように、古本のガイド本などをみても、お店の外観はあまり写っていない。

次に『彷書月刊』のなりたちへと話は移行していく。
若月隆一氏が田村氏を編集長にした頃のお話。「彷書月刊」というタイトルは、若月氏の提案で、書物の中を彷徨う、書物をたずねるという意味があるということで、それに決定した。
本を売るには自家目録を作るか、『古書通信』にのせてもらうしかない、それで目録を作るときも90円で送れるように半分以下にしたという。

次に『彷書月刊』の歴史を飾った人達の話が出てきた。新劇といえばこの人、松本克平氏。名優だが、本も出していて、ファンに自分で売っていた。初代発行人の堀切氏が本を出したいといっていたという。日本の映画美術監督の木村威夫氏と、同人雑誌を作ったことがある田村氏は、彼に連載を頼んだこともあった。背広とネクタイで古本屋に行き、しかも均一台をあさるという福田豊氏のお話も出てきた。作家・五木寛之氏のエピソードも出た。彼は竹中英太郎氏への義理から特別に書いてくれたのだった。竹中氏は、五木寛之氏原作の映画に油彩の絵を描いていた。井伏鱒二氏にも執筆依頼したが、彼には書けませんと断られた。

300号も続いたのは毎回特集を組めるだけの多彩な執筆陣がいたということが大きい。だからこそ出会いが特集をつくるという、田村氏の言葉が印象的だった。おまけに「1に出久根、2に中山、3、4がなくて、後はずっとない」と会場を笑わせる一言もあった。編集部の外側だけではなく、内側の強力なメンバー・皆川秀氏の存在も忘れてはならない。彼が来てから編集の出来る雑誌になったと田村氏。インタビューの名人でもある皆川氏は後半の120冊を作った。

古本屋と雑誌作りが上手に連環した。雑誌の特集で要る文献が古本屋にあったりと、互いが孤立せずに連携していった。さらには岡崎氏が言うように、『彷書月刊』が、本の面白がり方を提案し続けたからこそ、ここまで続いた。

田村氏は「古本屋は客によって鍛えられる」と。客が皆、軽い本ばかり求めれば、そういう店になる。ただ、最近はそういう客がいないというか、いるんだが、見えにくくなっている、と語る。ネットや電子書籍の普及のせいで、方向性が見えにくくなってきた、とも。古本屋で新しいことを考える奴は皆無だ、と田村氏。たまに考える人がいる、それが北海道のサッポロ堂書店さんだ、と。この人は「環オホーツク」ということを考えた。日本で考えれば北海道は北方だが、北海道・シベリア・ロシアとこの3つで考えれば南方だと。内堀氏は「全く新しいものを作るのは難しいが、今まであったものを違った風に見る」と言い、岡崎氏も「本を買っていくと物の見方がどんどん狭くなっていく」と。古書会館で、年配の客が「何にもいい本がないのう」と言ったとき、田村氏は「こんなにあるじゃないか」と言った場面を語った。

『彷書月刊』は中綴じから平綴じへと変わっていくが、平綴じの頃は『図書』『波』といったPR誌と見た目が同じで、書店で「え、これ、売るの?」と皮肉を言われた、というほろ苦いネタも出てきた。そんな『彷書月刊』がここまで続くと思っていたか、と岡崎氏に聞かれた田村氏は、定期購読者を3ヶ月・半年・1年の3種類で募集した時に、一番多かったのが半年で、まぁ半年位は続くだろうと思った、と答えていた。

岡崎氏が感動したという『彷書月刊』2008年9月号にポラン書房の石田氏が書いた文章を朗読。「本があれば人はきっときてくれる」という一文が印象的だった。さらに「本の力をないがしろにする巨きな力は、人と人、人とモノとのつながりを引き裂く方にも作用しているようです」と深い言葉で締めくくり、休憩。

後半は『昔日の客』の話でスタート。
関口良雄氏は、大森で25年、山王書房という屋号で古本屋をしていた人で、『昔日の客』は1000部刷られた。
そして、今年、夏葉社から『昔日の客』が復刊された。この夏葉社というのは島田潤一郎氏が一人でやっている超零細出版社だ。

『レンブラントの帽子』の次に『昔日の客』をやるとは!と岡崎氏が驚きを隠さずに理由を尋ねる。島田氏は古本屋の人たちに京都の「善行堂」に行けと言われて、行ったそうだ。梅田の紀伊国屋書店でさえ、『レンブラントの帽子』は10冊しか置いてくれないのに、善行堂は30冊も置いて、しかも売り切ってくれた。そこから、山本善行氏のブログに、『昔日の客』を島田氏に頼んでみようか、と知らない間に書かれていた、と会場を笑いに包む。

会場には関口氏の奥様とご子息も見えていた。ご子息は復刊する本のことで島田氏と何度も話し合われた。この本は何ともいえない布の表紙のてざわりがいい。これは布にしてほしいとご子息が希望をだされ、島田氏も普通のハードカバーで出すよりは30万は高くなるが、OKしたのだ。この本について田村氏が毒舌全開。布はすぐに手ずれをするから、新刊書店で売り切らないとね、と島田氏に忠告。古本屋に流れたら、すぐに一万円になるよ、と。会場の人は殆ど買われました(笑) 表紙を開くとすぐにある山高登氏の版画もご子息がリクエストされた。

「森崎書店の日々」という映画の1シーンでこの本がちらっと登場する。それを聞いただけで、この映画を見なければ、と思ってしまう。書店員が『愛についてのデッサン』という本を読む場面で、カウンターにおかれているのがこの本なのだ。

山王書房では売り上げゼロの日はなかったというエピソードも出た。

ラストはじゃんけん大会となる。音羽館さんからのプレゼント本や、今日のゲスト3人のサイン色紙などをかけてのバトルがしばし繰り広げられて終了。

スタッフ:増田

» 出演者のお一人、岡崎武志さんによるレポートはこちら
西荻の夜 – okatakeの日記 http://d.hatena.ne.jp/okatake/20100927

第45回西荻ブックマーク

2010年9月26日(日)

古本・トロイカ・セッション
~『彷書月刊』休刊から『昔日の客』復刊まで~

出演:
田村治芳(七痴庵):彷書月刊編集長(予定)
内堀弘:石神井書林店主
岡崎武志:書評家、ライター

※『西荻丼』25号記載のタイトル・内容が変更となりました。

会場:今野スタジオマーレ
開場:16:30/開演:17:00
料金:1500円
定員:30名
要予約
惜しくも休刊を迎える『彷書月刊』、奇跡的な復刊を果たす『昔日の客』。そして「興居島屋」からリニューアルした「なずな屋」などなど、この秋の古本をめぐる話題について、業界の達人3人をお迎えし縦横に語っていただきます。ツイッターやブログで書かれることのない、「古本と古本屋」のとっておきの話をお聴きします。

ご来場ありがとうございました!(第39回西荻ブックマーク「私は古本ストーカー」)

第39回はご存知「なないろ文庫ふしぎ堂」店主であり、
『彷書月刊』編集長でもある田村七痴庵さんと映画『私は猫ストーカー』
原作で有名なイラストレーターの浅生ハルミンさんの異色対談でした。
このコンビじつはかつて店主とアルバイトという関係でありまして、
このたび師弟対談が実現する運びとなりました。

当日の会場、スタジオ・マーレは超満員。顔なじみの古書店主、ライター、
編集者の顔もちらほらお見かけいたします。お二人の気楽な話しぶりから
時折繰りだされる意味深な発言に会場は大いに沸きました。

また会場ではハルミンさんの書籍のほか、
ちょうどタイムリーに刊行された2冊の雑誌も販売されました。

  • 『彷書月刊』2月号の田村さんの特集号
  • 『雲遊天下』101号(復刊号) 特集・雑誌のゆくえ (田村さんインタビュー収録)

これは現在も発売中ですのでぜひお手に取ってご覧ください。

それでは岡崎武志さんのブログに当日のレポートがあります。
お借りしましたので、会場の雰囲気を味わってください。

スタッフ:広瀬

ハルミンさんは「なないろ」バイトの「志願兵だった」。つまり、お金より、古本屋そのものに興味があり、自分から手を挙げて「なないろ」に店番をした。「バイト料は安かったけど」(田村)「そんなことはないです」(ハルミン)。田村さんは人手に困ると、「美学校」へ、ブラブラしている若者を探しに行ったようだ。そこでハルミンさんが拾われる。ハルミンさんは3年ほど、週に一日、「なないろ」のバイトをするが、「私は本当に丸腰だった」(古本のことは何も知らない、の意)。この「志願兵」だの「丸腰」という表現がおもしろい。古本屋に対する熱、意気込みを感じる。

当時の田村さん。まだ三十代だが、ハルミンさんの目に映ったのは、腰まで長い髪を伸ばし、田村さん以外は誰も着ないような服に身を包んでいた。それがかっこ良かった。店番をしていると、田村さんは「それじゃあ、頼むわ」と言って外出していくのだが、外で何をしているのかがまったくわからなかったという。

田村さんが謎なら、客も謎だらけで、いつもエロ本をずっと見て帰っていくおじいさんがいた。松本清張みたいな唇のじいさんで、長時間女性の裸を見ていると、次第に耳が赤く染まっていくのをハルミンさんは見逃さなかった。バイトの先輩・タカクラくんによると「あのじいさんは、○○に住んでいて、エロ本のコレクターだよ」。「なんで、タカクラがそんなこと知ってんだ!」と田村さん。

相撲取りになれと言われる程身体の大きな小学生がいた(「私は古本ストーカー」のチラシで、電話の下でしゃがんでいるコドモ)。小三のタケオは店内に貼った上半身裸の舞踏のポスターに映ったオトコの脇毛を指差し「これ、何て言うの?」と、ハルミンさんにしつこく「脇毛」と言わせたがった。

田村さん曰く、歴代のバイトで便所掃除をすすんでしたのはたった二人(田村さんはせよ、と言わない)。するとハルミンさんが「そのうちの一人は、当時つきあっていた私の彼氏です」と言った。ハルミンさんが急きょバイトを休む用ができて、彼氏が代わって「なないろ」へ。この彼氏がまことに几帳面、綺麗好きな男で、便所を見るにみかねて掃除した。

「なないろ」に古本を持ちこむ常連にKとTがいたが、Kはプロで、いい本を拾って、ちゃんと仕分けして、いちばん高く買う古本屋へ持ち込む。SM雑誌でもある程度の量が必要で、それを駅前のコインロッカーを倉庫替わりにして溜め込んでいた。ハルミンさんはこのKさんから寒い日に暖かい缶コーヒーをもらったことがある。ハルミンさんがKさんに、どこで本を拾ってくるのか、と聞いたことがある。Kさん曰く「あのね、内幸町と日比谷あたりがいいよ」。行動範囲の広さがすごい。田村さんは毎年、このKさんから年賀状をもらっていた。しかし、宿無しなので、住所はなく名前だけ。

田村さんは「三宿の江口書店こそ古本屋のなかの古本屋だ」と言っていた。ハルミンさんも江口書店が好きで、看板の「雑本」という文字に引かれていた。まさしく江口は雑本の店だった。とびきりいいことば、かっこいいことばとして「雑本」を意識していたが、友人に江口書店のことを説明するとき、「雑本の店で」と言うと、友だちが「ええっ、雑本なんて言うの、ひどいよ」と反応があり,逆に驚いたのだ。田村さんは言う。「雑草という草はないが、雑本という本はたしかにあるんだ」

江口さんは最後、失禁しながらも店番を続けていた。おしっこもらしながらも古本屋の店番をする江口さんに田村さんは感動する。つまり最後まで「古本屋」だった。

ハルミンさんに原稿を依頼したのが田村さんで、ハルミンさんはまだ何ものでもない私に依頼するなんて、その勇気におどろいたという。ただ、現在「にわとり文庫」に嫁入りした西村博子さんと二人で、「特急電車で家出」というミニコミを作っていて、それを田村さんに見せていたらしい。

「彷書月刊」つげ義春特集号(1991年)に書いた「古書談義 古本屋さん」だが、ここにナゴヤの古本屋で教わった、下郷羊雄がサボテンばかりを撮ったシュールリアリズム写真集『メセム属』について書いた。まだ二十代の女の子が、『メセム属』について書くなんて、とここで田村さんが驚く。

田村さんは「なないろ」の二階の四畳半を倉庫兼住居にしていたが、ガス台以外、電化製品はなにもなかった。ハルミンさんは、じつは田村さんがルスのとき、こっそりこの二階を覗いている。「部屋中、本が積み上げてあって、あんなに高く本が積めるものだと感心した。部屋のまんなかにぺったんこになった蒲団が敷いてあって、小さな窓から光がさしこんでいた。小さな机の上には、かきかけの目録用原稿が置いてあった」と描写する。

このほか、まだまだ面白い話が続くのだが、最後に田村さんが吐いた名言。田村さんの住むマンションのゴミ捨て場に、ある日、リボンのかかった遺影や「忌中」という紙や葬式写真など、葬式に使う一切のものが捨ててあった。マンションの管理人は「こんなものを捨てて」と怒ったが、古本屋の田村さんとしては、一瞬「俺がもらおうかな」と思ったという。そのあとにこう言った。

「古本屋ってのは奈落と直結した商売なんだ」

――私は古本ストーカー – okatakeの日記


第39回西荻ブックマーク

2010年1月31日(日)
「私は古本ストーカー」
田村七痴庵独演会 Part3
~彷書月刊編集長と浅生ハルミンの奇妙な関係~

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イラスト/ 浅生ハルミン

会場:今野スタジオマーレ
開場16:30/開演17:00
料金:1500円(会場でお支払い下さい)

定員30名 要予約

ある時は古本と古本屋をめぐるリトルマガジンの編集長。ある時は「なないろ文庫ふしぎ堂」の店主、田村七痴庵。ついに正体が浅生ハルミンさんによって解き明かされます。練馬の「ポラン書房」、千駄木の「古書ほうろう」に続いての独演会・第三弾!


彷書月刊編集長

田村七痴庵(たむら・ななちあん)
田村治芳(たむら・はるよし)。1950年、和歌山県生まれ。『彷書月刊』編集長。なないろ文庫ふしぎ堂店主。

浅生ハルミン(あさお・はるみん)
三重県生まれ。イラストレーター、エッセイスト。著書に『私は猫ストーカー』『帰って来た猫ストーカー』(ともに洋泉社)、『ハルミンの読書クラブ』(彷徨舎)、『猫座の女の生活と意見』(晶文社)等がある。また映画『私は猫ストーカー』(2009年公開)の原作者でもある。