この秋、再始動した「西荻文学散歩」。

 第1回にメンバーが集まったのは今年の1月のこと。その後、3月に企画を予定していたのですが、地震の影響などで中止して以来、活動が止まっていました。

 再度動き出した第2回は、西荻北にお住まいのアメリカ文学研究者の荒このみさんをお招きして、駅付近のカフェに場所を設けて行われました。

 荒さんは文芸評論家・荒正人の次女として埼玉県に生まれ、津田塾大学助教授を経て東京外国語大学教授として2009年3月まで教鞭を取られていました(現在は同大学名誉教授・立命館大学客員教授)。

 さて、事前に「荒正人さんと西荻」という形で、西荻窪とその周辺の様子や荒さんが立ちあげて活動していた『近代文学』という雑誌の話などを軸にまとめた文章を参加者で共有し、運営側は雑誌や年表のコピーを用意して臨みました。

 荒正人さんの業績は膨大で多岐に渡っているので、年表を追っても全仕事をつかめる訳ではありません。

 今回は、『近代文学』での活動と、西荻窪での生活や家族から見た荒氏という点にある程度絞ってお話を聞きました。

 このみさんが著作集や写真が載っている本、それに実際に撮った家族や同人達との写真などを用意して下さり、これらの貴重な資料を見ながら、お話を約1時間半にわたって聞きました。

 『近代文学』は初期の頃は1万部を刷っていたそうで、紙や印刷所の手配も大変な中で、荒氏の情熱をもって戦後すぐの1946年から1964年まで続けられました。荒氏は編集能力があり、座談会(司会がお上手だったそうです)を行って、誌上に毎号掲載していました。戦後文学の思潮をリードしようとしていた文芸誌『新日本文学』に対して『近代文学』は、文学は政治や思想の手段でなく、それ自体が主体性を持った存在であるという立場をとり、激しい論争(「政治と文学論争」)をリードしました。それらが日本文学界に与えた影響は大きいものでした。

 西荻北(当時は井荻2丁目)に引っ越されたのは1946年で、このみさんが子どもの頃は隣の吉祥寺は田舎で、西荻窪の方が栄えていたそうです。当時、1軒しか本格的な洋食屋がなく、それがこけし屋なのですが、“カルヴァドスの会”がそこで開かれていました(田村泰次郎、小松清、細田源吉、石黒敬らがメンバー:1949年に立ちあげた)。クリスマス会も毎年行われていたそうです。

 お酒は飲めるけどやらなかったとか、温泉と海水浴が好きで、仕事の合間をぬって伊豆や伊東に家族旅行に出かけたなど、ご家族だからこそ聞けるエピソードによって、写真と文章でしか分からない荒正人氏が身近に、そして戦前の文壇を引きずらない個人主義に立った人物であったことがわかりました。

 参加者のお一人が見つけた雑誌『遊』の歌謡曲特集にあったインタビュー記事や、『アサヒグラフ』の荒さんとお嬢さん(これはこのみさんだと判明)の写真など、お持ちでない資料を喜んで頂いたので差し上げ、一方私たちは探せなかった雑誌の記事の他に、貴重な『近代文学』を1人1冊頂いたのでした!

 1913年1月生まれの荒氏ですが、届けられたのが年明けということで、実際には来年の12月で生誕100年になるそうです。荒氏の年表作成に関わっていたこのみさんは、大学で教鞭をとっていらっしゃるのでお話がお上手でした。来年もう一度お会いしてまた違った角度からお話をお聞きしたいと思いました。

スタッフ・加藤

「西荻文学散歩の会」

杉並在住の作家研究で知られる萩原茂先生(吉祥女子中学・高等学校)や、
「西荻ブックマーク」のスタッフたちを中心にスタートした企画。
西荻窪に住んだ作家や文化人の足跡を一緒に調べたり、取材したりしませんか?
(担当:奥園・加藤)