映画「夏の終り」(監督:熊切和嘉・主演:満島ひかり)好評上映中!

第46回西荻ブックマーク「『海炭市叙景』公開記念 〈佐藤泰志の文学〉ふたたび」にご出演いただいた熊切和嘉監督の映画『夏の終り』が公開中です。

映画『夏の終わり』公式サイト
http://natsu-owari.com/

映画『夏の終わり』シナリオセット映画『夏の終わり』シナリオセット発売中!
宇治田隆史『夏の終り』
脚本:宇治田隆史 画:山本美希 
原作:瀬戸内寂聴『夏の終り』(新潮文庫刊)

西荻ブックマークのスタッフたちを中心に、2011年より始まった
「西荻文学散歩」。
西荻やその周辺に住んだ作家や、舞台となった作品をたずねて歩いたり、
ゆかりのあるゲストからお話をうかがったりしています。

映画『夏の終わり』公開にちなんで、原作者である瀬戸内晴美(寂聴)さんの作品や足跡をたずねた文学散歩のレポートを後日公開予定! お楽しみに!

「西荻文学散歩の会」お問合せ先:
nishiogisanpo@gmail.com
担当:加藤・奥園


西荻文学散歩「木山捷平『軽石』を歩く 編」

 さる10月7日(日)の第4回文学散歩を開催しました。秋晴れのとても天気のよい日でした。

 タイトルにあるように、今回は西荻窪時代の木山捷平にスポットをあて、練馬区立野町の自宅から歩いて西荻まで来て軽石を買ったという短編『軽石』を取り上げて、それに『貸間さがし』などの短編も合わせながら、立野町に移るまでの戦後数年住んでいた場所をたどるコースを作ってみました。
これは岡崎武志さんの『古本極楽ガイド』(ちくま文庫:絶版)にある「木山捷平『軽石』体験ツアー』を、下敷きにしたものです。
 まず吉祥寺駅からバスに乗り、「立野町」のバス停で下車。木山捷平宅(現在は長男の萬里さんがお住まいです)へと向かいます。当散歩の会の顧問・吉祥女子中学・高校の萩原先生が今回いらっしゃったのですが、萬里さんとお知り合いで私たちが自宅前まで行くことを連絡して下さっていました。休日のところ玄関から出てきてくださった萬里さんとお会いできて、一同感激することしきり。ニコニコと対応して下さった萬里さんは、「これが短編に書いていた月桂樹ですか」などの質問にも答えてくださって、思い出をいくつか話して下さいました。庭で捷平氏がよくたき火をしていた姿を萬里さんは見ています。

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第2回「西荻文学散歩」レポート

文学散歩_1

さる3月4日、有志による「第2回西荻文学散歩」を行いました。3月にしては寒い一日でしたが、今回は実際に西荻の町を歩いてみようという企画でもあり、10名ほどが集まりました。
準備したしおりで軽く行程を確認したあと、駅南口を出発。まず闇市の名残の飲食店街を通ります。善福寺で生涯を終える作曲家の遠藤実は、駆け出しの頃には西荻窪や荻窪の繁華街を「流し」(お客のリクエストに答えて演奏や伴奏をし)て歌手をめざしていたというエピソードを紹介しながら、作家の中井英夫が住んでいた青雲荘の跡に向かいます。
文学散歩_2

青雲荘跡遠景

青雲荘は駅から下りきった低地に建っており、このあたりは昔、大雨の後に水が溜まり、なかなか引かなかった場所だとか。
中井英夫が不遇の時代を過ごした面影はあまり残っていないのですが、近くには映画館や行きつけのバーなどもあったとのこと、作家はきっとそこで淋しさを慰めていたのだろうかと想像しました。

次に、高架下を抜けて北口エリアに出ます。神明通り沿い、かつて シナリオライターたちが「カンヅメ」となって脚本を書いていた旅館跡(木村館)の前を通り過ぎると、三角屋根の洋館が点在する場所に。建築家F・L・ライトの弟子、遠藤新が大正から昭和の初期に建てた住宅が、いまも何軒か残っているとのこと。このあたりで文学散歩は建築散歩の様相を示してきました。

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この秋、再始動した「西荻文学散歩」。

 第1回にメンバーが集まったのは今年の1月のこと。その後、3月に企画を予定していたのですが、地震の影響などで中止して以来、活動が止まっていました。

 再度動き出した第2回は、西荻北にお住まいのアメリカ文学研究者の荒このみさんをお招きして、駅付近のカフェに場所を設けて行われました。

 荒さんは文芸評論家・荒正人の次女として埼玉県に生まれ、津田塾大学助教授を経て東京外国語大学教授として2009年3月まで教鞭を取られていました(現在は同大学名誉教授・立命館大学客員教授)。

 さて、事前に「荒正人さんと西荻」という形で、西荻窪とその周辺の様子や荒さんが立ちあげて活動していた『近代文学』という雑誌の話などを軸にまとめた文章を参加者で共有し、運営側は雑誌や年表のコピーを用意して臨みました。

 荒正人さんの業績は膨大で多岐に渡っているので、年表を追っても全仕事をつかめる訳ではありません。

 今回は、『近代文学』での活動と、西荻窪での生活や家族から見た荒氏という点にある程度絞ってお話を聞きました。

 このみさんが著作集や写真が載っている本、それに実際に撮った家族や同人達との写真などを用意して下さり、これらの貴重な資料を見ながら、お話を約1時間半にわたって聞きました。

 『近代文学』は初期の頃は1万部を刷っていたそうで、紙や印刷所の手配も大変な中で、荒氏の情熱をもって戦後すぐの1946年から1964年まで続けられました。荒氏は編集能力があり、座談会(司会がお上手だったそうです)を行って、誌上に毎号掲載していました。戦後文学の思潮をリードしようとしていた文芸誌『新日本文学』に対して『近代文学』は、文学は政治や思想の手段でなく、それ自体が主体性を持った存在であるという立場をとり、激しい論争(「政治と文学論争」)をリードしました。それらが日本文学界に与えた影響は大きいものでした。

 西荻北(当時は井荻2丁目)に引っ越されたのは1946年で、このみさんが子どもの頃は隣の吉祥寺は田舎で、西荻窪の方が栄えていたそうです。当時、1軒しか本格的な洋食屋がなく、それがこけし屋なのですが、“カルヴァドスの会”がそこで開かれていました(田村泰次郎、小松清、細田源吉、石黒敬らがメンバー:1949年に立ちあげた)。クリスマス会も毎年行われていたそうです。

 お酒は飲めるけどやらなかったとか、温泉と海水浴が好きで、仕事の合間をぬって伊豆や伊東に家族旅行に出かけたなど、ご家族だからこそ聞けるエピソードによって、写真と文章でしか分からない荒正人氏が身近に、そして戦前の文壇を引きずらない個人主義に立った人物であったことがわかりました。

 参加者のお一人が見つけた雑誌『遊』の歌謡曲特集にあったインタビュー記事や、『アサヒグラフ』の荒さんとお嬢さん(これはこのみさんだと判明)の写真など、お持ちでない資料を喜んで頂いたので差し上げ、一方私たちは探せなかった雑誌の記事の他に、貴重な『近代文学』を1人1冊頂いたのでした!

 1913年1月生まれの荒氏ですが、届けられたのが年明けということで、実際には来年の12月で生誕100年になるそうです。荒氏の年表作成に関わっていたこのみさんは、大学で教鞭をとっていらっしゃるのでお話がお上手でした。来年もう一度お会いしてまた違った角度からお話をお聞きしたいと思いました。

スタッフ・加藤

「西荻文学散歩の会」

杉並在住の作家研究で知られる萩原茂先生(吉祥女子中学・高等学校)や、
「西荻ブックマーク」のスタッフたちを中心にスタートした企画。
西荻窪に住んだ作家や文化人の足跡を一緒に調べたり、取材したりしませんか?
(担当:奥園・加藤)